社会6

歴史を漫画で勉強しよう!「室町幕府」シンプルな漫画と説明でサクッと読める!

前回の学習で分かったこと

「元」が日本を攻めてきて、日本を守りきった鎌倉幕府だけれど、御家人に十分な「御恩」をあげられなかったことで「幕府と御家人」の関係がくずれてしまい、とうとう幕府は滅ぼされてしまったね。
鎌倉幕府について分からなかったらココを読もう!

鎌倉幕府が滅びたあとは、今度は足利氏が「室町幕府」を開くんだ。

yumineko
yumineko
このページでは、「なぜ」足利氏が室町幕府を開くことができたかというポイントを押さえながら、室町幕府について詳しく解説するよ!
室町時代、ココがピンとこない!
  • 足利氏って何者?どうして幕府を開けたの?
  • 室町幕府って?鎌倉幕府とどう違うの?
  • 守護大名って何??
  • 室町文化って何??

6年生の歴史では、室町幕府の詳しい内容までは学習しないんだ。
詳しくは中学や高校で学習するんだけど、
そのために必要になる「どうして室町幕府が開かれることになったのか」という流れを理解しておくことが重要だよ。

それでは、早速解説していくよ!

足利氏って何者?

ザックリいうと鎌倉幕府を倒す時、天皇に味方して力をつけていったのが足利氏!

1333年に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が鎌倉幕府を倒したときに活躍したのが足利氏の「足利尊氏(あしかがたかうじ)」なんだ。

もとは幕府の有力な御家人だった足利尊氏

足利尊氏(あしかがたかうじ)は、もともとは「高氏(たかうじ)」という名前で、鎌倉幕府の有力な御家人だったんだよ。
つまり、鎌倉幕府側のヒトだったんだね。

くまごろう
くまごろう
足利尊氏のご先祖さまは源頼朝と同じ源氏なんだ。
それに「高氏」の「高」は、鎌倉幕府の執権だった北条高時(ほうじょうたかとき)の「高」という字をもらっていたんだよ。

※だけどこれから先は「足利尊氏」で統一して呼ぶね。

たろう
たろう
幕府側のヒトだったのに、なんで幕府を倒す後醍醐天皇側に味方をしちゃったの??

足利尊氏「喪中なのに・・幕府ひどい!」

後醍醐天皇は今までにも幕府を倒そうと兵を挙げたことがあったんだけど、その時、足利尊氏は幕府の命令で「戦いに参加するように」と言われたんだ。

でもこの頃、足利尊氏はお父さんの喪中(もちゅう:身近な人が亡くなってしまって、しばらくおとなしくしている期間のこと)だったんだって。

それで、戦いに参加することを断ったんだ。

でも幕府に許してもらえず、しぶしぶ戦いに参加したんだよ。

くまごろう
くまごろう

そのことで、足利尊氏は「幕府」に対して反感を持ったと言われているよ。

よし!これからは後醍醐天皇についていこう!

足利尊氏は、幕府側の指揮官として京都に派遣されていたんだけど、後醍醐天皇が幕府を倒そうと、また兵を挙げると、足利尊氏は幕府を裏切って、京都にある幕府の出張機関の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落としたんだ。

くまごろう
くまごろう
活躍した足利尊氏は、後醍醐天皇の本名の「治(たかはる)」から「尊」の字をもらって「足利氏」と名乗るようになったよ。

だけど後醍醐天皇ともうまくいかなくなってしまう

こうして後醍醐天皇についていくことにした足利尊氏だけど、結局、後醍醐天皇ともうまくいかなくなってしまうんだ。

たろう
たろう
えっ
また??
くまごろう
くまごろう
これには、後醍醐天皇が「どういう人だったか」が関係してくるよ。

そもそも後醍醐天皇が幕府を倒したワケ

ここで、そもそもなんで「後醍醐天皇は幕府を倒したいと思ったのか」を説明するね。
ちょっとややこしいけれど、今理解しておけば、中学や高校で役に立つよ!

くまごろう
くまごろう
コトの始まりは、後嵯峨天皇(ごさがてんのう)。
後嵯峨天皇は皇子の後深草天皇に対して、「弟に天皇の座を譲りなさい」と命令したんだ。(弟皇子は亀山天皇になったよ)
後嵯峨天皇と後深草天皇と亀山天皇の系図

仕方なく退位した後深草天皇だけど、もちろん納得はいかないままだったよ。

くまごろう
くまごろう
しかも後嵯峨天皇がこうした理由は、「弟の方が可愛かったから」だったんだって・・・
たろう
たろう
そ、それは後深草天皇、おなじ兄弟としてツライよね・・

それ以来、後深草天皇の子孫である「持明院統(じみょういんとう)」と、亀山天皇の子孫である「大覚寺統(だいかくじとう)」天皇の座を競い合うような状態になってしまったんだ。

この間をとりもって丸くおさめたのが鎌倉幕府

幕府
幕府
だったら、交代制で天皇に即位したらいいんじゃない?
たろう
たろう
なんで幕府がアドバイスなんてしたの?
くまごろう
くまごろう
実は幕府の将軍が「持明院統」の出身だったんだ。

というわけで、後伏見天皇から以降は「持明院統」と「大覚寺統」で交代に天皇に即位するようになったんだ。

持明院統と大覚寺統の両統迭立の系図

だけど、上の図でいう⑨の後醍醐天皇が即位すると、後醍醐天皇は

後醍醐天皇
後醍醐天皇
やっと俺の番になった!
よし、ここから先はずっと私の子孫を天皇にするぞ!
交代制なんて、バカバカしい

と考えたんだ。

後醍醐天皇
くまごろう
くまごろう
唐っぽい衣装に、僧侶が着る「袈裟(けさ)」、唐の冠(かんむり)を被って、密教(みっきょう)の法具(ほうぐ:仏教で使われる特別な道具のこと)を持っているよ。
「後醍醐天皇の強烈な個性があらわれている変わった姿」として有名なんだって・・

交代のルールを無視するためには、ルールの見張り番である幕府が邪魔になったというわけ。

たろう
たろう
それで後醍醐天皇は幕府を倒そうとしたんだね・・

だけど幕府を倒そうとして失敗、退位することに

そうして後醍醐天皇は何度か幕府を倒そうとうと計画したんだけど・・

1度目は計画段階でバレて失敗(後醍醐天皇以外の関係者がつかまった)

2度目は戦ってみたけど負けて失敗(後醍醐天皇もつかまった)したんだ。

つかまった後醍醐天皇は、幕府によって退位させられて隠岐(おき)に流されてしまった
後醍醐天皇を退位させた幕府は、今度は「持明院統」の光厳天皇(こうごんてんのう)を即位させたよ。

あきらめない後醍醐天皇、隠岐から脱出

だけどまだまだ諦めない後醍醐天皇。

隠岐を抜け出して、また幕府を倒そうと挑戦するんだ。
後醍醐天皇のイラスト

たろう
たろう
パ、パワフル・・

そして、この3度目の挑戦で足利尊氏たちの協力があって、とうとう幕府を倒すことに成功したというわけ。

くまごろう
くまごろう
このとき、既に天皇は「光厳天皇」が即位したままだったのがカギになってくるよ。
後醍醐天皇は光厳天皇を廃位(天皇の位からどかせること)したつもりだったんだけど、
光厳天皇自身は、後醍醐天皇が幕府を倒そうが「天皇の座まで譲った」覚えはないという状態。

この「持明院統統」や「大覚寺統」の話はこのあともまだまだ関係してくるよ。 

天皇ファーストの後醍醐天皇

幕府を倒して新しい政治を始めた後醍醐天皇。
この後醍醐天皇の新しい政治がこれまた問題だったんだ。

なにが失敗したかというと、
後醍醐天皇の政治は「天皇ファースト」だったんだ。

後醍醐天皇
後醍醐天皇
「幕府?そんなもの認めないよ」
「摂関政治もダメ!」
「院政もヤメヤメ!」
後醍醐天皇のイラスト
たろう
たろう
たしかに、今まで「天皇が自分の思い通りの政治ができない」ケースといえば、「幕府」とか「摂関政治」とか「院政」が原因だったもんね。
その気持ちもわかるよね。

とはいえ、後醍醐天皇のこのやり方は

「権力は俺のもの!」
と言っているようなものなんだ。
いわゆる「独裁政治(どくさいせいじ:1人の人が政治の全てを決めてしまうこと」と思われていたよ。

こうして後醍醐天皇の政治は「天皇」や「朝廷」ばかりが力を持つようなものだったので、武士たちは当然、「後醍醐天皇、ガッカリ」となってしまったんだ。

くまごろう
くまごろう
そもそも、鎌倉幕府がダメになった原因は、元との戦いのあとに武士たちに十分なお礼を分けてあげられなかったコトだからね。
武士からすると、幕府が倒されて新しい政治が始まったけど、結局武士の生活はよくならないじゃん!!と不満いっぱいだったというわけ。

関東で反乱が起きる

後醍醐天皇の政治に反感を持った人たちが、関東で反乱を起こしたんだ。

そこで、足利尊氏は「自分が反乱をしずめに行きます!」と立候補するんだけど、
後醍醐天皇は「もしかして、鎌倉で幕府開くつもりじゃない?」と疑って行かせなかったんだ。

たろう
たろう
「幕府を作られる」のを警戒していたんだね。

でも尊氏は言うことをきかずに鎌倉へ行って乱をしずめるよ。
そして、そのまま鎌倉にいつづけたんだ。

たろう
たろう
そ、そんなことしたら後醍醐天皇が・・・

後醍醐天皇「尊氏、やっぱり幕府作る気じゃない?」

そう。後醍醐天皇は、尊氏が「鎌倉に幕府を作って自分に逆らうつもりだ!」と考えて、尊氏を倒すための兵を送るんだよ。

後醍醐天皇
後醍醐天皇
やっぱり幕府作る気だな!
よし、尊氏をやっつけるんだ
くまごろう
くまごろう
実は尊氏は後醍醐天皇にはむかうつもりはなかったと言われているんだけどね。

足利尊氏「光厳天皇のお力を借りよう!」

こうして後醍醐天皇に「敵」認定されてしまった足利尊氏は、光厳天皇に連絡をとって、自分を倒そうとしている後醍醐天皇側の武士団を倒してもいいという許可をもらうんだ。

そして1336年には光厳天皇の弟皇子を光明天皇(こうみょうてんのう)として即位させたよ。

もちろん後醍醐天皇はダマっていないよね。
こうして後醍醐天皇側の武士団と足利尊氏が戦ったんだけど、勝ったのは足利軍。
後醍醐天皇は足利尊氏に「天皇であることを証明する」三種の神器を渡したよ。

と、とりあえず逃げるけど私が本当の天皇だからな!

後醍醐天皇はひとまず奈良県の吉野(よしの)というところへ逃げるんだけど、そのあとも「私が本当の天皇だ!!」と一歩もゆずらなかったんだ。

たろう
たろう
えっ
でも、三種の神器ももう渡してしまっていたんでしょ。
くまごろう
くまごろう
それがなんと、
「あの三種の神器はニセモノだよー」
と後醍醐天皇は言っていたらしいよ(笑)
だから本当の天皇は自分だ!ということだね。
後醍醐天皇のイラスト
たろう
たろう
・・・。

朝廷が2つという前代未聞な状態に

くまごろう
くまごろう
こうして、なんと「天皇と主張する人が2人」
つまり、「朝廷が2つ」になってしまったんだ。
それぞれを「南朝(後醍醐天皇サイド)」と「北朝(光明天皇サイド)」と呼ばれたよ。
なので、この期間は「南北朝時代」とも呼ばれるよ。(南北朝については詳しく中学でや学習するよ!)

足利尊氏、征夷大将軍に任命される

足利尊氏はというと、1338年に光明天皇から征夷大将軍に任命されるんだ。
こうして、足利尊氏は幕府を開くことになったというわけだよ。

くまごろう
くまごろう
ちなみに、その翌年の1339年には後醍醐天皇が亡くなるんだけど、この時、足利尊氏は後醍醐天皇を思って「天龍寺(てんりゅうじ)」というお寺を建てるよ。

後醍醐天皇に反する(敵になるということ)ことになってしまった足利尊氏だけど、本当はずっと後醍醐天皇のことは尊敬していたという話なんだ。

たろう
たろう
教科書を読んだだけだと、「足利尊氏って裏切ってばかり」のヒドイ人なのかなと思っていたけど、色々事情もあったし、本当は仕方なく戦った結果だったんだね。
こういうワケだった!
  • 幕府の御家人だったけど、幕府に不満を持つように
  • 幕府を倒そうとする後醍醐天皇に協力した
  • 後醍醐天皇ともうまくいかなくなって、もう片方の天皇家の力を借りた
  • 新しい天皇を即位させて、征夷大将軍に任命された

なんで室町幕府って言うの?

足利義満が京都の「室町」に御所を建てたのが由来!

征夷大将軍に任命された足利尊氏は、京都に幕府を開いたんだ。
そして代々と将軍をついでいって、3代目将軍の足利義満が1378年に京都の「室町(むろまち)」というところに御所(ごしょ:おやしきのこと)を建てたんだ。

このことから、「室町幕府」と呼ばれるようになったんだよ。

 鎌倉幕府と違うところはココ!

しくみの違い
・執権の代わりに「管領(かんれい)」

・関東を支配するために、「鎌倉府(かまくらふ)」という機関がある。

政治の違い
・足利義満は各地の守護大名を従えた

・中国の明と貿易をした。

くまごろう
くまごろう
室町幕府のしくみや政治のやり方は、中学や高校でもっと詳しく勉強することになるよ。

守護大名って何?

「守護がパワーアップした」のが守護大名!

いままでにも守護(しゅご)という役職はあったね。

いままでの守護の仕事は、軍事や警察としての仕事などだったけど、あたらしく足利尊氏が作ったルールでは、荘園の年貢を半分もらう権利も持つようになったんだ。

こうして守護はどんどんと力を持ち始めて、その土地の武士を家来にして、領地も支配するようになったよ。
これが「守護大名(しゅごだいみょう)」の誕生なんだ。

くまごろう
くまごろう
この「守護大名」は、この先の「戦国時代」に大きく関わってくるよ。

6年生はココを押さえればOK!
まとめ

 

年表をチェック!

1333年 足利尊氏が六波羅探題を攻め落とす
鎌倉幕府が滅ぶ。
1336年 足利尊氏が光明天皇をたてる
1338年 足利尊氏が征夷大将軍に任命される
1339年 後醍醐天皇が亡くなる
1358年 足利尊氏が亡くなる
1378年 足利義満が京都の室町に御所をうつす(室町幕府の由来)

 

室町幕府まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!

  • 足利尊氏が京都に新しく幕府を開いた。
  • その幕府を「室町幕府」と呼ぶ。
  • 3代将軍の足利義満は、各地の守護大名を従えた。
  • 足利義満は、中国の明との貿易を行った

yumineko
yumineko
次は室町文化について解説するよ!

 

ABOUT ME
yumineko
2019年の長女の高校受験時、訳あって塾にはいかず自宅学習することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。 志望校にトップ10位内で合格を果たす。 勉強をみるにあたって感じたのは、教科書の説明には子供には分かりづらい部分が多く、子供にイメージしやすく噛み砕いて説明するのがとても有効だということ。 同じように教科書の内容が分かりづらいと感じている子供たちの ヒントになれば、との思いで「教科書を分かりやすく通訳するサイト」創設。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。