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分からないコトバもすぐに分かる!歴史で出てくる用語をひとつひとつ簡単な言葉で解説!索引「か~こ」

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「か」で始まる用語

開国
(かいこく)
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改新の詔
(かいしんのみことのり)
飛鳥時代に起きた大化改新のとき、新しい政治のやり方を発表した詔(みことのり:天皇の命令のこと)。内容は、「公地公民(こうちこうみん)」、租庸調(そようちょう)」の税の制度、「班田収授方(はんでんしゅうじゅほう)」などについて。
公地公民とは、土地や民はすべて国のものになる、というルール。
班田収授方は、民に田を与えるというルール。
租庸調は、民が国におさめる税のこと。
つまり、カンタンにいうと「土地や民はすべて国のものなので、国が支配する。民には、国から稲を耕すための田を分け与えるので、そこで米を作り、税金として米を国へおさめなさい」ということ。※税の種類は他にもあるよ!
解体新書
(かいたいしんしょ)
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貝塚
(かいづか)
弥生時代などの昔の人々が、食べた貝の「から」や動物の骨などをまとめて捨てていた場所のこと。遺跡にある貝塚を調べると、そのころの人々の食生活が分かる。貝のカルシウム成分のおかげで、他の化石も保存状態が良いものが多い。
登場するページ→小学6年歴史「弥生時代」、中学歴史「縄文時代」
学制
(がくせい)
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学徒出陣
(がくとしゅつじん)
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学問のすゝめ
(がくもんのすすめ)
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カースト制度
(かーすとせいど)
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化政文化
(かせいぶんか)
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華族
(かぞく)
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刀狩令
(かたながりれい)
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合衆国憲法
(がっしゅうこくけんぽう)
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かな文字
(かなもじ)
中国の漢字をもとにして生まれた文字のこと。
かな文字に対して、中国の漢字のことを「真名(まな)文字」という。
かな文字には、「ひらがな」「カタカナ」がある。
かな文字は平安時代の貴族の女性がよく使い、貴族のお邸で働く女房がすぐれた文学作品を作るきっかけにもなった。
例:清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」
登場するページ→小学6年歴史「国風文化」
鎌倉幕府
(かまくらばくふ)
源頼朝が神奈川県鎌倉市にひらいた日本で初めての武家政権のこと。武家政権とは、武士による政府のこと。
鎌倉幕府があった150年間を鎌倉時代と呼
ぶ。
いつ鎌倉幕府がひらかれたことにするかは色々説がある。
1192年、源頼朝が征夷大将軍に任命された時を鎌倉幕府の完成とする説が一般的。
登場するページ→小学6年歴史「武家政権のはじまり」
鎌倉文化
(かまくらぶんか)
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伽耶諸国
(かやしょこく)
3世紀から6世紀の中頃にかけて、朝鮮半島の中南部にある洛東江の流域を中心に散在(広い範囲に散らばってあること)していた小国家群のこと。
鉄の有力な生産地帯なので、大和政権は伽耶諸国と交流を持ち、鉄を入手していた。
登場するページ→中学歴史「古墳時代」「古墳時代」
樺太
(からふと・サハリン)
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刈田狼藉
(かりたろうぜき)
田が「誰のものか」を争っているときに、「その田は自分のだ!」と勝手に稲を刈り取ってしまうルール違反のこと。
河内
(かわち)
飛鳥時代から明治時代の初めごろまで使われていた「令制国(りょうせいこく)」の一つ。今でいう大阪府の東部に該当する。
川中島の戦い
(かわなかじまのたたかい)
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(かん)
紀元前202年に劉邦(りゅうほう)が中国を統一して作った王朝(皇帝が政治の中心ということ)。一度紀元8年に滅ぼされてしまうが、またすぐに劉秀(りゅうしゅう)が復活させた。劉秀は、光武帝(こうぶてい)と呼ばれている。
紀元220までの400年間も続いた王朝。
冠位十二階
(かんいじゅうにかい)
飛鳥時代の603年に定められた制度。605年から648年まで行われた。聖徳太子が定めたと言われている(蘇我馬子が一緒に作った、どちらかというと蘇我馬子が中心だったなどの説もある)。
それまでは「姓(かばね)」によって朝廷の高い位についたりしていたが、「出身」ではなく「能力や、どんな良い行いをしたか」で位が決まるようにした。また、世襲(せしゅう・親子で引き継いでいくこと)ではなく個人一代(その人の代だけ。子供には引き継げない)だけ有効になるようにした。
徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ「大」と「小」に分け、全部で十二段階の位を定めた。
位によって色分けされた冠(かんむり)を被ることで、それぞれの地位がひと目で分かる工夫もされている。
決まった豪族が力をつけすぎるのを防いで、新しい優れた人材を朝廷に迎えられるようにするのが狙い。
登場するページ→小学6年歴史「飛鳥時代」
環濠集落
(かんごうしゅうらく)
まわりを濠(ほり:掘って作られた溝のこと)や土塁(どるい:土で作られた堤防のこと)で囲った集落(しゅうらく:人が集まって生活しているところ)。
弥生時代になって米作りがはじまると、米を作るのに条件がよい土地や、道具、たくわえなどをめぐって争いが起きたと考えられている。
まわりを濠や土塁で囲むことで、敵が攻めにくいようにしていると考えられている。
佐賀県にある吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は最大級の環濠集落の遺跡。
韓国併合
(かんこくへいごう)
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漢字
(かんじ)
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鑑真
(がんじん)
日本に仏教を広めるために日本に渡った中国(唐)の僧。
742年に日本へ行く決意をしたが、5回も失敗し、失明(目がみえなくなること)までして6回目の753年に日本の鹿児島県に到着した。
聖武天皇受戒(じゅかい)をおこない、唐招提寺を建てた。
鑑真のおかげで日本の仏教は発展した。
登場するページ→小学6年歴史「海をこえた人」
寛政異学の禁
(かんせいいがくのきん)
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関税自主権
(かんぜいじしゅけん)
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寛政の改革
(かんせいのかいかく)
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勘合貿易
(かんごうぼうえき)
勘合(かんごう)と呼ばれる証票(しょうひょう:証明するための札)を使っておこなわれた貿易のこと。
室町幕府足利義満明(みん)の間でおこなわれた。
この頃、倭寇(わこう)という海賊がいたので、明は外国からやってくる船を厳しくチェックした。このとき、明の皇帝が将軍に証票として勘合を与えて、勘合を持ってきたかどうかを確認してから港に入ることを許されていた。
勘合は真ん中で2つに分かれていて、片方を「勘合」、もう片方を「勘合底簿(かんごうていぼ)」と呼んでいた。
この2つがぴったり合うかをチェックすることで、皇帝から許された船かどうかを確認していた。
ガンディー ここに説明文を入力してください。
関東大震災
(かんとうだいしんさい)
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関白
(かんぱく)
成人(大人になった)した天皇をサポートして政治をする役のこと。
桓武天皇
(かんむてんのう)
第50代(781年~806年)の天皇。
都を、平城京から長岡京へ移し、長岡京からさらに平安京へ移した。

「き」で始まる用語


(ぎ)
中国の三国時代(魏・呉・蜀の3つの国が対立していた時代のこと)に、華北(中国の北の方)220年から265年の間支配していた王朝(君主:中国の場合、皇帝が支配した時代のこと)。首都は洛陽(らくよう)。
魏の歴史書である「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、倭(わ:日本のこと)に「邪馬台国(やまたいこく)」というくにがあること、「卑弥呼(ひみこ)」という女王が邪馬台国をおさめていたことが書かれている。
魏志倭人伝
(ぎしわじんでん)
中国で魏・呉・蜀(ぎ・ご・しょく)という3つの国が対立していた時代のことを書いた「三国志」という歴史書のなかの「魏書」のなかの「東夷伝(とういでん)」のなかの「倭人条(わじんじょう)」に書かれた部分のこと。
カンタンに言うと、「中国の歴史書にかかれていた日本についての部分」のこと。
「倭には、邪馬台国というくにがある」ということ、「邪馬台国は女王の卑弥呼がおさめている」ということが書かれている。
この頃(弥生時代弥生時代)、まだ日本には文字がなかったので、日本の様子が
わかる歴史書は日本にはなかった。なので、魏志倭人伝は、日本のことを知るための大切な手がかりになっている。
登場するページ→「魏志倭人伝」 「卑弥呼」
寄進系荘園
(きしんけいしょうえん)
寄進地系荘園や、寄進型荘園とも呼ばれる。
自分で耕した田は永延に自分のものにして良いという「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」が定められると、力のある豪族や貴族、寺や神社はどんどんと土地を耕し自分の土地を広げていった。
これが荘園(しょうえん)だが、一般的な農民は、結局土地が自分のものになっても税を納めるのに苦しい生活だった。
そこで、農民は有力な貴族などに自分が耕した土地を寄進(きしん:ぷれぜんとすること)し、書類上は貴族のものということにした。
そうすれば、有力な貴族などからは朝廷は税を取り立てることが難しくなる。
書類上は貴族のものだが、実際に米を作ったりするのは農民で、その分お礼を貴族に渡していた。
つまり、農民が耕した土地を貴族に寄進することで、農民は重い税から逃げられるし、名前を貸している貴族はお礼をもらえるということで、どちらも得をしていた。
こうやって寄進されて貴族名義の土地になった荘園のことを「寄進系荘園」と呼ぶ。
貴族
(きぞく)
家がら(先祖のころから地位のある一族だったなど)や、身分が高い人々のこと。特別な権力を持っていたりした。
貴族院
(きぞくいん)
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北里柴三郎
(きたざとしばさぶろう)
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北山文化
(きたやまぶんか)
室町幕府3代将軍の足利義満の頃の文化のこと。
義満が京都の北山に金閣寺(きんかくじ)を建てたことから、「北山文化」と呼ばれている。
公家と武家、中央と地方、大陸と日本伝統がミックスされた文化。
木戸孝允
(きどたかよし)
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紀貫之
(きのつらゆき)
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義務教育
(ぎむきょういく)
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牛耕
(ぎゅうこう)
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旧石器時代
(きゅうせっきじだい)
石を打って欠けさせて作った「打製石器(だせいせっき)」を使っていた時代。
欠けさせただけの石を磨いて形を整えた石器を「磨製石器(ませいせっき)」と言い、「新石器」と呼ぶことから、打製石器は「旧石器」と呼ぶ。
「旧石器」を使っていた時代なので、「旧石器時代」。
登場するページ→小学6年歴史「縄文時代」、中学歴史「旧石器時代」、高校歴史「旧石器時代」
教育基本法
(きょういくきほんほう)
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行基
(ぎょうき)
弥生時代、朝鮮から渡来(とらい・海を渡って日本に来ること)した渡来人の子孫。
奈良時代に、近畿地方を中心に仏教を広めることに力をいれた。
困った人々のために橋や池などをつくり、人々の信頼を得ていた。
聖武天皇が大仏づくりをする時には、行基がサポートをすることで、人々の協力を得ることができたと言われている。
大仏づくりの途中で亡くなってしまった。
登場するページ→小学6年歴史「奈良時代(後編)」
記録所
(きろくしょ)
後三条天皇が設置した「記録荘園券契所」を略した呼び方。
※内容は「記録荘園券契所」の欄を参考
記録荘園券契所
(きろくしょうえんけんけいしょ)
後三条天皇が発令した「延久の荘園整理令」によって、券契(けんけい:荘園が自分のものだということを証明するもの)が無かったり、きちんとしていない荘園(しょうえん:貴族など、個人が持っていた土地のこと)は全て国のものとすることになった。
このようにしたのは、農民が税(お米)を納めることから逃れるために、土地を有力な貴族に寄進(きしん:プレゼントすること)してしまう「寄進系荘園」が増えてしまったため、税が集まらなくなってしまったから。
延久の荘園整理令が発令され、記録荘園券契所ができた後は、そこに証拠書類を提出する必要と、国司からの報告があってやっと荘園が認められるようになった。
これによって藤原氏などの摂関家が持っていた荘園のほとんどは国のものとなり、藤原氏の力が弱まる一因(いちいん:原因の一つ)になった。
金閣寺
(きんかくじ)
室町幕府3代目将軍の足利義満が京都の北山(きたやま)に建てた山荘。正式には「鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)」。
全部で3層の建物で、2層めと3層めには金箔が貼られている。
義満は公家としても、武家としても頂点に立った人物なので、この金閣も公家の文化を表す「寝殿造(しんでんづくり)」と、武家の文化を表す「禅宗様(ぜんしゅうよう)」が合わさったデザインになっている。
この頃の文化は、義満が金閣寺を京都の北山に建てたことから、「北山文化」と呼ばれる。
北山文化は、公家と武家、中央と地方、大陸と日本ならではの伝統がミックスされた文化。
銀閣寺
(ぎんかくじ)
室町幕府8代目将軍の足利義政(あしかがよしまさ)が京都の東山に建てた山荘。正式には「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」。
特に銀色というわけではないが、足利義満が建てた金閣寺に対して「銀閣寺」と呼ばれる。
2層で、上層は武家文化を表す「禅宗様(ぜんしゅうよう)」、下層は書院造(しょいんづくり)

「く」で始まる用語

愚管抄
(ぐかんしょう)
鎌倉時代初期に書かれた史論書。天台宗(てんだいしゅう)の僧侶である慈円(じえん)が書いた。承久の乱の前後あたりに書かれたと言われている。
全部で7巻。神武天皇から第84代順徳天皇までの歴史が書かれている。
歴史を研究する分野では、とてもよく登場する、重要資料となっている。
楠木正成
(くすのきまさしげ)
鎌倉時代、河内の国にいた悪党(諸説あり)。奇抜(きばつ:変わっていること)な戦術が得意で、日本史上最上の軍師と評価されている。
お米を増やして炊く有名な裏技の「楠公飯(なんこうめし)」は楠木正成が考えたもの。
後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すときに味方して戦った。
足利尊氏が後醍醐天皇に反するようになった時にも、後醍醐天皇側の軍として足利尊氏と戦い、負けて自害した。
管玉
(くだたま)
吉野ヶ里遺跡で出土(しゅつど:土の中から発見されたこと)した、ビーズのような飾り。糸を通して、ブレスレットやネックレスなどとして使った。
百済
(くだら・ペクチェ)
4世紀から7世紀の中頃に朝鮮半島の南西部にあった国家のこと。
朝鮮半島北部にあった高句麗とは対立関係にあり、同じく高句麗と対立していた大和政権(日本)と同盟を結んだ。
朝鮮半島には他に新羅という国家があり、この時代を朝鮮の歴史における「三国時代」と呼ぶ。
百済は中国の南朝とも密な交流を持ち、仏教を取り入れ、6世紀に大和政権に仏教を伝えた。
中国がに統一されて、新羅と組んで百済を攻撃してきたため、660年に滅亡した。(百済の土地は神羅に組み込まれた)
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「け」で始まる用語

 

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(げん)
13世紀に誕生したモンゴル軍がいくつかの国に分かれて「元」という国になった。
文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)に日本に攻めてきた。
それぞれ文永の役と、弘安の役と呼ぶ。
日本軍と戦っているうちに、暴風雨や台風にあい、失敗している。
この頃のリーダーはフビライ(クビライ)
元が日本に攻めてきたことを「元寇(げんこう)」と呼ぶ。
登場するページ→6年歴史「鎌倉幕府のその後」
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元寇
(げんこう)
が日本を征服しようと攻めてきたことを「元寇」と呼ぶ。
1度目は文永11年におきた文永の役、2度目は弘安4年の弘安の役。どちらも失敗している。
登場するページ→6年歴史「鎌倉幕府のその後」
元弘の乱
(げんこうのらん)
1331年の鎌倉時代、鎌倉幕府を倒そうとした後醍醐天皇と、幕府側の北条家との間で起こった内乱。
1333年の元弘3年まで続いたので、元弘の乱と呼ばれる。
後醍醐天皇は一度幕府側につかまり、廃位(天皇から外されること)され隠岐(おき)へ流された。しかし、隠岐を脱出した後醍醐天皇は足利尊氏新田義貞楠木正成を味方につけ、最終的に後醍醐天皇が勝利した。
鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇による建武の新政が始まった。
源氏
(げんじ)
天皇の血筋ではあるけれど、天皇にはならなかった一族が家臣(家来のこと)になるときに「源(みなもと)」の姓を使うようになり、源氏となる。
源頼朝は、清和天皇の子孫の一族。
1051年、東北地方で反乱があった時に源氏が活躍し、そのあとも関東地方で力を伸ばしていった。
1159年の平治の乱では平氏に負けて、源義朝(みなもとのよしとも)は殺され、頼朝も伊豆へ流されてしまう。
しかし1185年の壇ノ浦の戦いで平氏を倒し、1192年に征夷大将軍となった頼朝が鎌倉に幕府をひらき、日本で初めての武士政権を始めた。
しかし、頼朝の血筋の源氏はその後3代(頼朝の子供の子供の代まで)で途絶えて(滅びて)しまった。
登場するページ→小学6年歴史「武士の政治のはじまり」「源平の戦い」「武家政権のはじまり」
遣隋使
(けんずいし)
日本(この頃は「倭」)から中国の「隋(ずい)」に派遣されるお使いの人のこと。
中国の技術や文化などを学ぶために派遣された。
600年に最初の遣隋使が送られた。
600年から618年の間に、3~5回派遣されたと言われている。
聖徳太子の命令で派遣された小野妹子(おののいもこ)が有名。
登場するページ→小学6年歴史「飛鳥時代」
遣唐使
(けんとうし)
日本から中国の「唐(とう)」に派遣されるお使いの人のこと。
(618年に隋は滅び、唐が中国を統一した。)
遣隋使と同じように、中国の技術や文化などを学ぶために派遣された。
630年に最初の遣唐使が送られた。回数は12~20回まで、色々説がある。
894年に計画された時、菅原道真(すがわらのみちざね)が中止を提案し、そのまま907年に唐が滅んでしまったので、遣唐使は廃止になった。
登場するページ→小学6年歴史「国風文化」
建武の新政
(けんむのしんせい)
1333年に鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が行った新しい政治のこと。
後醍醐天皇は政治の全ての権限(けんげん:物事を決めたり行ったりする権利)を自分のものにしようとして、摂政関白院政幕府を認めなかった。
土地を得る時には、天皇が出す綸旨(りんじ:天皇が出すおおやけの文書のこと)が必要というルールを作った。
このような後醍醐天皇の「独裁的(どくさいてき:全てのことを天皇ひとりの判断でしてしまうこと)」な政治に武士達が反感を持つようになった。
登場するページ→中学歴史「建武の新政」

「こ」で始まる用語

弘安の役
(こうあんのえき)
弘安4年(1281年)にが日本へ攻めて来た時のこと。
元が日本へ攻めてきたのは2度目。
暴風雨(台風)にあい、元軍は海に沈むなど大ダメージを受けて失敗した。
庚午年籍
(こうごねんじゃく)
天智天皇(てんじてんのう:もとの中大兄皇子)が「土地と民は、すべて国のものにする」という政治の改革のために、「誰がどこに住んでいるのか」をハッキリさせるために作った戸籍(こせき)のこと。
670年に作られた。
更新世
(こうしんせい)
地質学で使われる言葉。簡単にいうと、化石などによってその時代の様子がわかる時代のうち、地球が氷河で覆われていた期間で、さらにそのうちの「大型哺乳類」が栄えていた時代のこと。
更新世のころは海面が今よりも低く、日本は大陸と陸続きだった。
更新世のころに人類は日本へやってきたと考えられている。
登場するページ→高校歴史「旧石器時代」
御恩
(ごおん)
将軍御家人に「恩恵」を与えること。戦や仕事で頑張った御家人に、褒美として「土地」や「仕事」を与える。
御家人が将軍に戦や仕事で尽くすことを「奉公」と言い、「御恩と奉公」は鎌倉幕府の将軍と御家人を結びつける重要な関係。
登場するページ→小学6年歴史「鎌倉幕府の政治」
豪族
(ごうぞく)
地方で力をつけて、栄えた(お金や権力を持った)一族のこと。
国司
(こくし)
朝廷からの任命を受けて地方の政務(せいむ:政治を行うための行政事務)を行うために置かれた役人のこと。
国司は中央(朝廷から)派遣された貴族のこと、同じような任務でも、郡司(ぐんじ)はその地方の有力な豪族が任命されたもの。
国風文化
(こくふうぶんか)
7世紀から9世紀は中国の「唐」などの文化を取り入れる「大陸文化」だったのに対して、10世紀から12世紀に日本独自の気候や生活に合わせた文化を作り上げた。これを「国風文化」という。
登場するページ→小学6年歴史「国風文化」
御家人
(ごけにん)
将軍の家来になった武士のこと。
御家人は、さらに「郎党(ろうとう)」という家来をしたがえていた。
御成敗式目
(ごせいばいしきもく)
鎌倉時代に、武家社会の習わしや道徳をもとにして作られた「武家の法律」。貞永元年8月10日に制定されたので、貞永式目とも呼ばれる。
北条泰時(ほうじょうやすとき)が中心になって定めた。
登場するページ小学6年歴史「鎌倉幕府のその後」
古墳
(こふん)
古代(むかし)のお墓。土を高く盛り上げて作っている。身分の高い人や、権力を持っている人のお墓として作られた。
日本最大の古墳は、大阪府にある「大山古墳(だいせんこふん)」
登場するページ→小学6年歴史「古墳時代」
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ABOUT ME
yumineko
2019年の長女の高校受験時、訳あって塾にはいかず自宅学習することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。 志望校にトップ10位内で合格を果たす。 勉強をみるにあたって感じたのは、教科書の説明には子供には分かりづらい部分が多く、子供にイメージしやすく噛み砕いて説明するのがとても有効だということ。 同じように教科書の内容が分かりづらいと感じている子供たちの ヒントになれば、との思いで「教科書を分かりやすく通訳するサイト」創設。

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